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今日の夕方。ぼーっとTV見ながらMacに向かって仕事したりtwitterしたりtwitterしたりtwitterしたり仕事したりしてたときのこと。つまり遊んでたってことですが。

6時だったか7時だったかになってニュースが始まると、男性アナウンサーが

「今入りました訃報をお伝えします」

とかいうから、てっきり

「元巨人の桑田のオヤジの話がトップニュースか…(ネットに出てたので)」

と思ったら、なんとあのピッチャー小林が亡くなったというニュース。

うそ!マジ!?まだ若いじゃん!とかなり驚いた。

若い人は知らないでしょうが、ウチらくらいの年代にとって「ピッチャー小林」っつーと、

「男前やね〜」

「ハンサムやね〜」

「カッコマンやね〜」

という感じのすげー人。ハンサムで巨人のエースで歌もうまい、ナイスガイだったのだ。

当時は、カッチョイイ男といえば「アランドロン」か「アルパチーノ」か「ピッチャー小林」だったのである。それぐらいカッチョイイ男がオッサン臭いバッターをバッタバッタと三振に取るので、僕ら小学生の男の子の中ではかなり人気があったのだ。

友達とキャッチボールをする時なんかも、「オレ小林!」「小林はオレだ!お前は山田(久志)にしとけ!」「じゃあ、オレ堀内〜!」なんて感じで、とにかくピッチャー小林の人気は絶大だったのである。

うちのお袋も野球なんて全然興味ないくせに、「優男で男前だわー、それに比べてウチのお父さんは…」なんて感じだったのは、はっきりと覚えている。

しかしなんと言っても、当時の少年たちの心を捉えて離さなかった一番の理由はあの独特の「サイドスロー」である。ただでさえ人と違うことが大好きな少年たちは、あの妙にカクカクした投げ方と口を尖らせるような表情、投げ終わった後にバサッと帽子が落ちるところに

「シビレル〜!」

と憧れたものだ。

なんとか気分だけでもピッチャー小林になりきろうと、自分で実況をしながら「ピッチャー振りかぶって〜」(カクカク)「第一球〜〜〜投げましたっ!」(口を尖らせ、帽子がバサッ)ってなるように、毎日毎日練習したな〜もう。

その後、僕は野球よりサッカーに興味を持っちゃったんで、物まねはしなくなった。「江川の空白の一日事件」とかいうのも、子供心に「江川イコール悪」「小林イコール悲劇のヒーロー」みたいなイメージが染み付いちゃったし。おかげで今でも江川も巨人も大嫌いですけどね。王さんは好きだけど。

阪神に移籍した後も、「ピッチャー小林」は黙々と投げ、淡々と勝ち星を積み重ねた(らしい)。その後の引退間際の頃の成績とかは正直全然知らないんだけど。

とにかく僕と同年代の、というかキャッチボールが一番の遊びだった時代の少年たちの中では、間違いなく「ピッチャー小林」は単なる「プロ野球選手」ではなく、「ヒーロー」だったよなあ〜。

ご冥福をお祈りいたします…。

ーーーーーーーーーー(サンケイスポーツより)

小林繁氏が急死…通算139勝、巨人と阪神で活躍

江川卓投手との交換トレードで阪神に移籍したことで知られる、巨人や阪神で投手として活躍した現日本ハム1軍投手コーチの小林繁氏(57)が17日、心不全のため亡くなった。57歳だった。

小林氏は1952年、鳥取県東伯郡赤碕町(現・琴浦町)出身。71年にドラフト6位で巨人に指名され社会人の全大丸を経て72年に入団。73年に1軍に初昇格すると76年、77年に18勝を挙げるなど活躍。

78年オフには「空白の1日」として知られる江川卓のドラフト騒動で、交換トレードで阪神へ移籍し、79年にはいきなり22勝を挙げ最多勝利に輝いた。83年には13勝を挙げるも現役から引退した。

引退後はテレビ、ラジオ解説者を経て97から01年までは近鉄で、07年には韓国のSKワイバーンズで、08年からは日本ハムでコーチを務めていた。通算成績は374試合に登板、139勝95敗17セーブ、防御率は3.18。最多勝利に1度、最優秀投手に2度輝いている。沢村賞、ベストナインも2度選ばれている。

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